人間という生き物について

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もっと考えなければいけない
最近、人の生き方や人の生かされ方についてよく考え込んでしまいます。歳なのでしょうか。人はどうあれば幸せと言えるのだろう?もちろん人それぞれによって違う事は百も承知です。
しかし、本当の幸せとは何の事なんだろうって考えてしまうのです。自分自身は幸せなのだろうか?人から見れば、何不自由なく育ち、高校時代にとんがった性格をしていて家さえも飛び出して、いろんな人に助けられ今の会社を持ち、それも倒れそうになっても誰かに助けられ今を生きています。二度三度と救われた私は、生意気にも人から社長と呼ばれ、人よりも多くの報酬をもらっています。
そのおかげで、子供もいきたい学校へ行き、食べたいものを食べ、周りから見ても劣る事のない生活をする事ができています。これを見れば本当に幸せな人だねって恐らく思われるのでしょう。これを不幸せと言えば、この贅沢者が!とか欲張りとかという事になるのでしょうが、私は今の自分には納得がいきません。それは誰が悪いという事ではなく、自分自身に満足が行っていないのです。
あまりにも自己中心的な考え方であると思われると思いますが、私自身は満足のいった生活をしているとは到底思えないのです。もちろんそれは名誉や金の問題ではありません。自分の心でそう感じるのです。
では、周りの人たちはどうなのか?大きなお世話なのかも知れませんが、周りには自ら幸せになる事を放棄している人もいます。今生きる事を忘れて、大した理想でない目標にあこがれだけを抱いて妥協するだけの人生。今生きる事に幸せを感じなければ、より大きな、本当の理想の未来の目標は出てこないのではないでしょうか?今がしんどく疲れている人に、本当の幸せが何かを判断させてはいけないのではないでしょうか?私もそのうちの一人なのかも知れません。まるで取り付かれたような話ではありますが、そのような事を考えてしまう最近です。
これらの事も含め、今年各地の神社、寺院を廻ってみようかと思います。「御朱印帳」を手に入れまずは、東京のマンション近くにある湯島天満宮へ行き、その後に神田明神へ行ってきました。各地でお参りを続ける事で、何か良い考え方がもっと身に付くのかも知れませんし、本当の幸せという形を見つけ出せるかも知れません。
人間は生かされている生き物だとしたら、そんな事を考えてみるのは悪い事ではないと思っています。