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人の心

最近よく考えます

人の心とは?なんて考える事がよくありますが、考えれば考えるほどわからなくなってきます。自分の心もよく理解できていない私に人の心など理解できる訳ないのです。そうわかりながらも、人の心について少しでも分かるようになりたいという努力はするべきなのだと、勉強をしているつもりです。
人の心は分からなくても、どんな環境のもとに心が変化するのかは分かるかもしれません。そう考えながら気づいた事もいくつかあります。例えば最近の私が一番没頭できるものは料理なのです。何故没頭できるのか?料理は、味というものに高い創造性があります。食材と調味料、調理方法により変化していく味や食感を創造して希望を膨らませます。その楽しさに強い魅力を感じ心を楽しませてくれます。楽しい事をしている心は豊かさも同時に感じる事が出来るため、より発想を広げていってくれます。そしてこの楽しみは終わる事のない喜びへと心が感じている事も理解できます。
この事からも、環境により人の心が変化する事は間違いないのです。その変化を読み取る事は実は可能なのではないかと思いますし、その変化を方向を変えれるのではないかと私は考えています。
先日、般若心境の解説本を読みました。その本に書かれていた言葉ですが、その昔観音様が「智慧の完成」の道を進まれたときに見抜いた事は「空」という事であったそうです。すべては「空」なのであると解いておられます。「空」とはなにもないということです。この世に存在するものすべて本当は何もないのだという事なのです。つまり、人の心も「空」なのです。「空」なのに感情や感触や物語を作ってしまっているのです。
これを読んでもよく理解できないかもしれませんが、人の心は元々何もないのです。そこに、欲望がというものを作り出し、欲望に向かって心が動き出します。心が動くとともに体が動きだします。そこに「空」ではない環境が作られます。その環境に合わせて人は新たな欲望が生まれます。人により環境が違うのはその為です。環境が良ければ、そこから生まれる欲望は豊かな心を導きだしてくれます。しかし、生活という環境の中では時に欲望により心が乱れる事が多いようです。
乱れた心は普通に見ていても分かりやすいものです。なぜなら行動が乱れるからです。少し言葉が悪いかもしれませんが、貧しさを感じる環境のもとに豊かな心はあり得ません。ここで言う貧しさは貧乏という事ではありません。欲望が多すぎて心は求める事しかなくなってきている事を貧しさと言います。求める心しかない時に良い発想も生まれる訳がありません。そんな人の心は誰にでもすぐに分かるはずなのです。
それでは乱れていない心はどのように読み取る事が出来るのでしょうか。これが私の大きな課題なのです。豊かな心を持つ人に、さらに大きな豊かさを目指してもらう。貧しい心を捨てた人に豊かな心を持ってもらう為に私は智慧の道を進まなければいけません。そんな事を考える最近です。

得意げな顔!!

なんと得意げな顔をしているのでしょう。

私の仕事場で私の机のいすにのり、すごく得意げなポーズをとっています。
最近は、人間の言う事がほとんどわかっているようで、さらに人の顔色まで伺う様なときが結構あります。東京へ行ったり一緒に出かけているときはいつまでも甘えたさんです。でも人が大好きなのでどこに行っても人気者には変わりまりません。
ただ、他の人のジャックラッセルを見ていると何故かうらやましく思えるのです。何故か??    おりこうさんになってきている彼ですが、何と言っても落ち着きがなさすぎます。3歳も過ぎてもう少し落ち着きある態度が出来ないのでしょうか。どうも他のジャックラッセルを見ていると落ち着きを感じてしまうのです。