月別アーカイブ: 2014年2月

根津神社

東京十社巡り
先日東京のの行きつけの鮨屋さんで「東京十社」のお話を聞きました。東京都内にある、歴史ある神社十社を巡る「十社巡り」というのがあるらしいのです。早速、ネットでこの件を調べてみると、いろんな記事が出ていました。中には、耳にした事のある神社の名前、東京支店のすぐ近くの既に御朱印をいただいた神社もありました。どこの神社も由緒ある神社で、大規模ではありませんが、趣もそれぞれにあり、中には現代のパワースポットとして訪れる人が多いところもあ
るようです。そして私も今年の「慎ましく」のテーマをもとに始めた御朱印をいただく為に、時間があるときに、近くに行くときに寄って見ようと計画し、昨日3社に立ち寄ってきました。「神田神社(明神)」もそのうちの1社なので既に参拝と御朱印をもらっており、昨日3社を含めて4社立ち寄った事になります。昨日立ち寄った「根津神社」は東京のマンションからも近く、都心から少し離れた下町に近いところに位置しています。この神社は1900年以上も前に建立された古社で明治維新の際には明治天皇が勅使を遣わせ国家安泰のご祈願をされた事もある有名な神社です。この神社は天下祭りと呼ばれる江戸時代から続く山車を出す壮大なお祭りが行われ東京3大祭りの一つだそうです。境内はとても壮大な、歩いているだけでこの神社の重みを感じさせてくれるほどの空気が漂います。紅白の梅の花も咲き始めていました。東京にいてこんな雰囲気の中を歩いていると心が現れます。

東京にいると疲れるようです。

東京にいるとどうも疲れるようで、よく寝ています。
でも寝るときに何故か仰向けが多いのです。何ででしょうか? 最近家に帰っていなかったのでゴロちゃんの様子がよくわかりませんでしたが、甘えん坊なところは相変わらずで、私が出かけるときは何が何でも着いていくぞって感じです。夜も一緒に寝ています。

トイレはちゃんと朝晩散歩中にしてくれています。でも、餌がどうも気に入らないようで、バラまくし、食べないしわがままばかりです。

慎ましく慎ましく

靖国参拝
阿部総理の靖国参拝で国内外から物議を醸し出している所ですが、実は私は靖国神社へはお参りした事がありませんでした。私の名前には靖国神社の「靖」という文字が使われています。ですから、子供のときから靖国神社の存在は知っていました。しかし、一度も訪れた事はなかったのです。まして、東京支店からも東京のマンションからも近距離にあるに関わらずお参りいてませんでした。今年は「御朱印帳」をもち、何カ所かのお参りをしてる事もあり、訪れてみました。平日ではありましたが、観光客も含め参拝者は多く、警察車両もありやや物々しさを感じる風貌に感じました。とてつもなく大きな鳥居に粛正を感じる本堂には、戦後の歴史を感じるようでした。艶やかさは全く感じない、日本人の生真面目な正確がそのままこの神社には表されているようにも感じたのです。その中で慎ましくを頭の中において今年を生きるつもりの私には、とても波長の合う思いがあったのです。そして参拝後には、何となくパワーをいただいた様な気持ちにもなれました。日本人には日本人に合う場所というのがあるのでしょう。確かに戦犯の眠るこの神社に首相が参拝する事には私も賛成はしませんが、日本人にとってはそれ以外の意味のある神社である事を誇りとするべきなのではないでしょうか。その誇りもなしに、野党は反発するだけであればそれは大きな間違いでしょう。

先週、先々週と首都圏を襲った大雪は私の行動にも大きく影響を与えました。2週連続で足止めを食らいました。東京にいてこんな大雪に見舞われるとは思いませんでしたが、その影響の大きさに驚くとともに、雪の街を体感する事に嬉しさも感じていました。帰宅に相当ご苦労をさせた従業員の方には申し訳ないのですが、雪道を車で走る事に嬉しさを感じていたのは事実です。ごめんなさい。
しかし、この大雪は各地の業務に大きな影響を受けた事は重く受け止めなければいけません。雪だから仕方ないでは済まない事かもしれません。また、次回にこの教訓を活かさなければいけない事も心においておかなければいけません。
最近物騒な事件も多くありますが、慎ましく慎ましく生きる事がこんな事件にも巻き込まれないのではないでしょうか。とくに、女性諸君!!最近世の中は女性が強いです。よく働きます。でもあまり調子に乗ってはいけませんよ。慎ましさを持つからこそ、人に尊敬されます。慎ましくいましょうね。

人間という生き物について

もっと考えなければいけない
最近、人の生き方や人の生かされ方についてよく考え込んでしまいます。歳なのでしょうか。人はどうあれば幸せと言えるのだろう?もちろん人それぞれによって違う事は百も承知です。
しかし、本当の幸せとは何の事なんだろうって考えてしまうのです。自分自身は幸せなのだろうか?人から見れば、何不自由なく育ち、高校時代にとんがった性格をしていて家さえも飛び出して、いろんな人に助けられ今の会社を持ち、それも倒れそうになっても誰かに助けられ今を生きています。二度三度と救われた私は、生意気にも人から社長と呼ばれ、人よりも多くの報酬をもらっています。
そのおかげで、子供もいきたい学校へ行き、食べたいものを食べ、周りから見ても劣る事のない生活をする事ができています。これを見れば本当に幸せな人だねって恐らく思われるのでしょう。これを不幸せと言えば、この贅沢者が!とか欲張りとかという事になるのでしょうが、私は今の自分には納得がいきません。それは誰が悪いという事ではなく、自分自身に満足が行っていないのです。
あまりにも自己中心的な考え方であると思われると思いますが、私自身は満足のいった生活をしているとは到底思えないのです。もちろんそれは名誉や金の問題ではありません。自分の心でそう感じるのです。
では、周りの人たちはどうなのか?大きなお世話なのかも知れませんが、周りには自ら幸せになる事を放棄している人もいます。今生きる事を忘れて、大した理想でない目標にあこがれだけを抱いて妥協するだけの人生。今生きる事に幸せを感じなければ、より大きな、本当の理想の未来の目標は出てこないのではないでしょうか?今がしんどく疲れている人に、本当の幸せが何かを判断させてはいけないのではないでしょうか?私もそのうちの一人なのかも知れません。まるで取り付かれたような話ではありますが、そのような事を考えてしまう最近です。
これらの事も含め、今年各地の神社、寺院を廻ってみようかと思います。「御朱印帳」を手に入れまずは、東京のマンション近くにある湯島天満宮へ行き、その後に神田明神へ行ってきました。各地でお参りを続ける事で、何か良い考え方がもっと身に付くのかも知れませんし、本当の幸せという形を見つけ出せるかも知れません。
人間は生かされている生き物だとしたら、そんな事を考えてみるのは悪い事ではないと思っています。